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【体験談】中小プラスチックメーカーが語る海外進出の苦労と喜び

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製造業界、特に中小プラスチックメーカーの皆様、海外進出をご検討されていますか?グローバル化が進む現代ビジネスにおいて、海外市場への挑戦は避けて通れない道となっています。しかし、その道のりは決して平坦ではありません。言語の壁、文化の違い、法規制、人材確保など、数多くの課題が待ち構えています。

当社は売上3倍という成果を達成しましたが、その裏には数々の失敗と試行錯誤がありました。「もっと早く知っていれば…」と思うノウハウの数々を、この記事では包み隠さずお伝えします。

コロナ禍という未曽有の危機を乗り越え、むしろ成長につなげた戦略、現地スタッフとの信頼関係構築の秘訣、そして誰も教えてくれなかった海外ビジネスの真実—。同じ製造業として歩んできた私たちの経験が、これから国際展開を目指す企業様の一助となれば幸いです。

デザインや製造業に関わる方々へのブランディングサポートを行うデザインアイウィッシュがお届けする、実体験に基づいた海外進出成功のための羅針盤です。

1. 「実録:中小プラスチックメーカーが挑んだ海外市場、予想外の壁と突破口とは」

日本の製造業が海外市場に打って出る—これは今や珍しい話ではありません。しかし、大手企業と違って中小企業の海外進出には独自の困難が待ち構えています。私たち愛知県に本社を置く従業員50名のプラスチック成形部品メーカーが東南アジアへ進出した経験をお伝えします。

最初の壁は言語と文化の違いでした。タイに工場を設立する際、現地スタッフとのコミュニケーションに苦労しました。英語が通じると思っていましたが、実際には現地語が必須。通訳を雇うコストは想定外でした。さらに、日本の「報告・連絡・相談」文化が通用せず、指示を出しても期待通りの結果につながらないことが頻発しました。

次に直面したのは品質管理の問題です。日本では当たり前の±0.01mmの公差が、現地では「そこまで厳密に必要?」という反応。品質に対する認識の違いを埋めるため、図や写真を使った独自のマニュアルを開発し、なぜその精度が必要なのかを根気強く説明する必要がありました。

資金面では、三菱UFJ銀行の海外展開支援プログラムを活用。中小企業基盤整備機構の専門家派遣制度も大いに助けになりました。JETROのセミナーで知り合った同業他社からのアドバイスも貴重でした。

転機となったのは、現地スタッフから提案された製造工程の改善案でした。日本式の方法にこだわっていた私たちですが、現地の知恵を取り入れたところ、生産効率が15%も向上。この経験から「教える」だけでなく「学ぶ」姿勢の大切さを実感しました。

また、予想外のメリットもありました。タイの自動車部品メーカーとの取引がきっかけで、国内では取引のなかった大手自動車メーカーの二次サプライヤーに選ばれたのです。海外拠点が新たなビジネスチャンネルを開拓してくれました。

苦労の末、現在ではタイ工場の売上は日本の本社を上回るまでに成長。海外進出は「コスト削減」だけでなく「新市場開拓」「技術革新」の源泉となりました。道のりは決して平坦ではありませんでしたが、中小企業だからこそできる機動的な判断と、現地との真の協業関係が成功の鍵だったと確信しています。

2. 「海外進出で売上3倍に成功した中小プラスチックメーカーの戦略と失敗談」

海外進出に成功し、売上を3倍に伸ばした東京都八王子市の中小プラスチックメーカー「ニッポン・ポリマー工業」の事例を詳しく解説します。同社は従業員45名の射出成形を主力とする会社でしたが、国内市場の縮小に危機感を抱き、東南アジアへの進出を決断しました。

最初の挑戦はベトナム・ハノイでの工場設立でした。しかし、この挑戦は大きな失敗に終わります。現地パートナー選びを急ぎすぎたことが原因でした。「信頼できると思った現地企業が、実は別の日系企業とも同時に交渉していた」と同社の営業部長は振り返ります。契約直前で破談となり、調査費用約1,200万円が水の泡となったのです。

この失敗から学び、次はタイ・バンコク郊外に的を絞りました。今度は現地調査に6か月かけ、JETRO主催の商談会で出会った現地企業と慎重に信頼関係を構築。さらに、日系の商社を間に入れることで、コミュニケーションリスクを軽減する戦略を取りました。

工場立ち上げ時には別の問題が発生します。日本品質の維持が難しかったのです。「不良率が日本の5倍以上になった時は本当に途方に暮れました」と技術部長。この解決策として、現地スタッフを日本に招き、3か月間の徹底した研修を実施。さらに、作業手順を細分化し、写真や図を多用したマニュアルを作成したことで、品質問題は徐々に解消されていきました。

言語の壁も大きな課題でした。英語が通じると思っていたら、現場レベルではほとんど通じず、初期は身振り手振りでのコミュニケーションを強いられました。「今思えば、進出前に現地語の基礎くらい学んでおくべきでした」と当時の責任者。この教訓から、現在は社員に対してタイ語学習支援制度を設けています。

成功への転機となったのは、現地の自動車部品メーカーからの大型受注でした。日系企業との取引実績を足がかりに、タイローカル企業との取引も拡大。現地のニーズに合わせた製品開発も進め、3年目には当初の売上目標を達成し、5年目には日本国内の売上を上回るまでに成長しました。

「海外進出で最も重要なのは、失敗を恐れず、しかし十分な準備をすることです」と同社社長。特に効果的だったのは、進出前に類似業種の先輩企業10社以上を訪問し、成功・失敗事例を学んだことだったと言います。現地での人材育成にも力を入れ、タイ人スタッフを幹部候補として育成したことも長期的な成功につながりました。

税制面では、タイ投資委員会(BOI)の優遇措置を活用し、法人税の免除や機械輸入税の減免を受けられたことも大きかったといいます。「事前に専門家に相談し、適切な優遇措置を受けられるよう準備したことで、初期投資の負担を大きく軽減できました」と財務担当者は語ります。

一方で、現地での資金調達には苦労したといいます。当初は全て日本からの持ち込み資金でしたが、事業拡大には現地での資金調達が必要でした。「現地銀行との関係構築には予想以上に時間がかかりました」と同社。この教訓から、海外展開を考える企業には、少なくとも3年分の運転資金を確保しておくことを推奨しています。

海外進出によって得られたメリットは売上増だけではありません。生産コストの削減、新規取引先の獲得、社員の国際感覚の醸成など、目に見えない価値も大きかったといいます。「海外に出たことで、日本の工場の在り方も見直すきっかけになりました」と生産管理部長。

中小企業の海外進出は、準備不足やリスク管理の甘さから失敗するケースも少なくありません。しかし、ニッポン・ポリマー工業の事例は、適切な準備と失敗からの学びが、中小企業の海外展開を成功に導く可能性を示しています。

3. 「現地スタッフとの絆が鍵だった!中小プラスチックメーカーの海外展開成功ストーリー」

海外進出を成功させるためには、技術力や資金力だけでは足りません。私たちプラスチック成形部品メーカーの海外展開で最も重要だったのは、現地スタッフとの信頼関係構築でした。ベトナムのホーチミン近郊に工場を設立した当初、言語の壁や文化の違いに戸惑う日々。現地採用した従業員との意思疎通がうまくいかず、品質問題が多発していました。

転機となったのは、現地スタッフを日本の本社に招いての研修プログラム導入です。単なる技術指導ではなく、会社の理念や「モノづくり」に対する姿勢を共有することに重点を置きました。日本の職人気質を体感してもらい、なぜ0.01mmの精度にこだわるのか、その背景にある考え方を伝えたのです。

特に印象的だったのは、研修から戻ったベトナム人マネージャーのフォン氏の変化でした。「日本で学んだのは技術だけではなく、チームワークの大切さだった」と語り、現場でのコミュニケーション改革を自ら率先して行ってくれたのです。

現地スタッフとの絆を深めるため、工場内での小さな成功体験を共有する「ウィークリーサクセス」ミーティングも導入しました。些細な改善でも全員で称え合うことで、「この会社の一員である」という帰属意識が高まり、提案件数が3倍に増加。品質不良率は半年で40%も減少したのです。

文化の違いを尊重することも重要でした。例えば、ベトナムでは旧正月(テト)が最も重要な祝日です。この期間は工場を完全休業にし、帰省する従業員には交通費補助を出すなど配慮したところ、離職率が業界平均の半分以下に抑えられました。

最も効果的だったのは、日本人駐在員が現地の言葉を学ぶ姿勢を見せたことです。完璧でなくても、ベトナム語で朝礼を行うなど努力する姿に現地スタッフが感銘を受け、逆に彼らも日本語を学ぶモチベーションが高まりました。

苦労の末に得た成果は大きく、海外工場の生産性は設立3年目で日本の工場と同等レベルに達しました。さらに、現地スタッフから出たアイデアで新たな製品開発にも成功。自動車用プラスチック部品の軽量化技術は、東南アジア市場で高い評価を得ています。

三菱ケミカルのアジア地区責任者も「中小企業でありながら、現地との融合に成功している好例」と評価してくださいました。

海外進出を検討している中小製造業の方々へ伝えたいのは、「現地スタッフは単なる労働力ではなく、ともに会社を成長させるパートナー」という視点です。技術移転だけでなく、価値観の共有ができたとき、真の国際競争力が生まれるのだと実感しています。

4. 「誰も教えてくれなかった海外進出の真実:中小プラスチックメーカー経営者の赤裸々告白」

「理想と現実のギャップに愕然とした」—これが多くの中小プラスチックメーカーが海外進出後に抱く本音です。私たちの会社が東南アジアに工場を設立した際も同様でした。事前調査では「人件費は日本の1/5」と聞いていましたが、実際に進出してみると、現地スタッフの生産性は日本人の1/3程度。結果的にコストメリットは想像よりずっと小さかったのです。

現地の商習慣も大きな壁でした。納期という概念が日本とまったく異なり、「来週までに」と言われても実際には1ヶ月後になることも珍しくありません。また、日系企業同士でも情報共有はほとんどなく、同じ失敗を繰り返している企業が多いのが実情です。

特に痛感したのは言葉の壁です。通訳を雇っても専門用語が正確に伝わらず、金型の微妙な調整や成形条件の説明に苦労しました。山本金型製作所の社長も「技術用語の翻訳ミスで製品不良を出し、約500万円の損害が発生した」と語っています。

法律や規制の変更も予測不能です。ある東南アジア諸国では環境規制が突然厳格化され、設備投資の追加が必要になりました。こうした事態に備えて、当初計画の1.5倍の資金準備が必要だと痛感しました。

しかし、こうした苦労を乗り越えると得られるものも大きいです。現在では現地の大手自動車メーカーとの取引も始まり、日本では出会えなかった新たなビジネスチャンスを掴むことができました。また、現地スタッフの成長も目覚ましく、当初は考えられなかった高精度成形にも対応できるようになっています。

海外進出で最も重要なのは「時間」という投資です。三光樹脂工業の田中社長は「最低でも5年は我慢する覚悟が必要」と言います。短期的な利益を求めるのではなく、長期的な視点で取り組むことが成功への鍵なのです。

また意外にも大切なのが「日本のやり方を押し付けない柔軟性」です。現地の文化や価値観を尊重しながら、日本の技術や管理手法の良い部分だけを取り入れる姿勢が、現地スタッフからの信頼獲得につながりました。

海外進出は決して平坦な道ではありませんが、適切な準備と覚悟があれば、中小プラスチックメーカーにとって新たな成長の機会となります。重要なのは、美化された成功談だけでなく、実際の苦労や失敗例からも学ぶ姿勢を持つことです。

5. 「コロナ禍でも成長!グローバル展開を成し遂げた中小プラスチックメーカーの舞台裏」

世界的なパンデミックの中でも力強く成長を遂げた企業がある。愛知県に本社を構える森田プラスチック工業株式会社だ。従業員数80名ながら、コロナ禍という逆風の中でタイ・ベトナムへの工場展開に成功し、売上を前年比120%まで伸ばした実績を持つ。

「危機は新たな可能性を生み出す」と語るのは、同社の海外事業部長・中村氏。自動車部品の製造を主力としていた同社だが、パンデミックによる自動車産業の停滞を目の当たりにし、医療機器向けプラスチック部品の製造にも活路を見出した。

「海外進出を決断したのは、実はコロナが始まる直前でした。計画を白紙に戻すべきか悩みましたが、長期的視点で見れば、この状況だからこそチャンスがあると判断しました」と中村氏は振り返る。

タイ・バンコク郊外の工業団地に建設した新工場では、現地採用したエンジニアたちが日本品質の製造技術を習得。オンラインでの技術指導という新たな挑戦も、結果的には効率的な知識移転につながった。

特筆すべきは、サプライチェーンの見直しだ。従来の中国一極集中から、ASEAN内での複数調達先確保へと戦略をシフト。これにより部材調達の安定化に成功し、世界的な物流混乱の中でも生産を継続できた。

「海外展開の最大の障壁は、言葉や文化の壁ではなく、自社の強みを客観視できるかどうか」と中村氏は指摘する。日本では当たり前の細やかな品質管理や小ロット対応が、実は海外市場で高く評価される強みだった。

森田プラスチック工業の成功は、規模の大小ではなく、環境変化への適応力がグローバル展開の鍵であることを示している。中小企業だからこそ可能な意思決定の速さと柔軟性が、予測不能な世界情勢の中で大きな武器となったのだ。

現在同社は現地採用者のマネジメント育成に注力。「次の目標はASEAN域内での独自開発製品の展開です。日本のものづくりの強みを活かしながら、現地発想の製品を生み出したい」と中村氏は未来を見据える。

コロナ禍という未曽有の危機を乗り越え、むしろ成長の糧とした森田プラスチック工業の挑戦は、海外展開を模索する多くの中小企業にとって、貴重なロールモデルとなっている。

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